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世界選手権でベストパフォーマンスを!|アルペンスキー清澤恵美子選手インタビュー
2017年03月10日
現役アスリートを訪ねて、これまでの活躍の裏に隠されたエピソードをお伝えしていきます。
今回お話をお伺いしたのは、アルペンスキー清澤恵美子選手。
今シーズンのアルペンスキー世界選手権出場を目指し、世界中を転戦する清澤選手に競技への思いについてお話しいただきました。
※動画にて詳細のインタビューを見ることができます。
-清澤選手は雪山のない横浜市の出身です。ウィンター競技であるアルペンスキーとはどのようにして出会ったのでしょうか。
3歳でゲレンデデビューしました。両親揃ってスキーが趣味で、4歳になったらスキースクールに入れたいとの思いから、3歳で教え始めたそうです。
そのまま両親は好きが高じてスキースクールのコーチになり、私も6歳の時にはアルペンコースに入っていました。
両親は共にストイックにスポーツに取り組むタイプです。父はサラリーマンでしたが、「このままでは恵美子にスキーをさせられない」と、私が中学1年の頃に脱サラして調剤薬局を自営で始めたほどです。
私は横浜生まれの東京育ちなので、シーズン中の週末はスキーに出かけました。とにかく楽しかったことと、「生まれた時から反抗期」って言われているくらい負けず嫌いだったので上達しました。
スキーのシーズンオフは陸でトレーニングをすることが多いですが、体力は水泳でついたと思います。スイミングチームが超スパルタで吐くほど辛かった思い出があります。
同じチームには、後にシドニーや北京五輪に出場する子がいて、その圧倒的な速さに「私、無理だな」と思いました。小学6年生の時、水泳のコーチから「冬も水泳しないと速くならない!スキーか水泳かどっちか選びなさい」と言われて、楽しかったスキーを選びました。
-お話から清澤選手のご両親譲りのストイックさが伝わってきました。そんなスキーと向き合う子供時代はどのように過ごしていたのでしょうか。
当時、友達と遊んだ記憶はありません。国立の小学校に電車通学していて、帰ったら「ランドセルを置いてプールに行く」の繰り返しでした。でも、今考えると小学校時代も楽しかったですね。私、どんな経験も美化するのが取り柄なんです(笑)。
中学になってからは全国中学スキー大会の予選会に出場しましたが、全く通用しなくて…
それでも、その頃からレーシングチームのツアーでオーストリアなどの海外合宿に行かせてもらったのは、ありがたかったです。それがなかったら、今の私はないです。
-中学生から世界と戦う清澤選手。今後はどこに照準を合わせて活動しているのでしょうか。
今シーズンは世界選手権があり、そこを目指しています。実はずっと世界チャンピオンになりたいと思っていました。
でも、いろんな意味でなれないって分かったんです。そう思った時、世界チャンピオンに見切りをつけようって。それなら、とにかく今は精一杯やればいいんだと開き直ることができました。
世界選手権! あの世界の舞台で自分のパフォーマンスをしたい。それまでは精一杯やってみようって!
でも、そこに到達するまで一つ一つ壁があるんですね。それを乗り越えられなかった時は、引退だと思っています。振り返ってみると、挫折ばかりでした。
ソチ五輪前は日本ランク1位だったのに、直前に怪我をしてオリンピックに行けませんでした。それでもたくさんの方々に応援されながら競技を続けてこられた経験は、今後様々な方に伝えていきたいですね。
-最後に子ども達へのメッセージをお願いします。
思いや願いは必ず行動に繋がります。だから、「自分は可能性の塊なんだ!」って思っていて欲しいですね。
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